大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和56年(う)1486号 判決

控訴人 弁護人

被告人 佐藤文夫

弁護人 斉藤展夫 外一一名

検察官 宮崎徹郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人斉藤展夫等及び被告人本人が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事板山隆重が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意七について

論旨は、要するに、被告人に対する現行犯人逮捕は、その要件も必要性もなく、憲法三一条、三三条に違反したものであり、仮に被告人の本件行為が公職選挙法一三八条二項に該当するとしても、これは、単なる騒音謝罪の挨拶に過ぎず、可罰的違法性、実質的違法性が軽微であつたことからして、本件捜査及び公訴の提起は、共産党及び同党所属の候補者で被告人の妻佐藤松子(以下佐藤まつ子という)に対する政治的弾圧を意図してなされた不公正なものであり、その故に本件公訴の提起は公訴権を濫用したものとしてこれを棄却すべきであつたのに、これを看過した原判決は、不法に公訴を受理した違法を犯したものである、というのである。

しかしながら、原審記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して、まず被告人に対する現行犯人逮捕手続の適法性についてみると、関係証拠によれば、原判決説示のとおり、原判示山崎団地一街区の入居者亀卦川文彦から、被告人が「佐藤まつ子の夫です。」などと言いあるいているとの通報を受けて同団地に赴いた警視庁町田警察署の萩原和四郎刑事課長ら捜査官は、一街区八号棟及び九号棟の入居者数名から前記通報と同旨の聞き込みを得、また被告人が篠原保を伴つて九号棟の入居者宅を訪れて同旨の発言をしているのを現認し、この間自ら右捜査を遂行し適宜捜査員から報告を受けていた萩原刑事課長において、右捜査活動に従事していた同署警察官松本満利らに命じ、九号棟一〇四号の平塚方を訪れ扉を開けて家人と会話を交していた被告人を公職選挙法一三八条二項所定の戸別に候補者の氏名を言いあるいた罪の現行犯人として逮捕させたことが認められる。なるほど、原判決が指摘するとおり、関係証拠を総合しても、被告人が右平塚方において佐藤まつ子の氏名を言いあるく行為に及んだことは認められないけれども、前記認定事実によれば、右逮捕の時点において、被告人に対する現行犯人逮捕の要件が客観的に整つており、被告人の身上関係はもとより、犯行の動機・規模、篠原との関係など犯罪事実の全貌が未だ判然とせず、被告人の身柄を確保して捜査を進める必要性のあつたことは明らかであり、被告人の逮捕を命じた萩原刑事課長及び現に被告人を逮捕した松本らもこれを認識していたと認められるのであつて、右逮捕手続に何ら違法な点はなく、この点の所論は採用できない。また、被告人の本件犯行は、投票日が一週間後に迫つた時期に、長時間にわたり多数の選挙人方を順次訪問して候補者の氏名を言いあるいたものであつて、軽微な事犯とは認め難いから、その可罰的違法性、実質的違法性に欠けるところはなく、しかも、本件捜査及び公訴の提起が所論のように共産党や佐藤まつ子の弾圧を意図してなされたものと認めるに足る証拠は存しないから、論旨は理由がない。

第二控訴趣意四について

論旨は、要するに、原判決は、松岡良子及び亀卦川文彦を除くその余の被訪問者一一名の各検察官面前調書を証拠として採用しているが、一一名もの多数人が、事件の核心的部分について、反対尋問を経、信用性の高い各自の原審証言と矛盾する供述をしていること、合理的理由もないのに横山迪子の供述調書には検察官の署名押印が欠落しているなど本件捜査は極めて杜撰であるうえ、被訪問者の取調を行つた二名の検察官の捜査目的に従い各供述調書の内容に類型的差異があり、しかも、被告人が、一家の主人の自己紹介として合理性も必然性もない、「佐藤まつ子の夫です。」とか「佐藤まつ子は私の女房です。」といつた発言をしたこととされ、被訪問者において単なる騒音謝罪に過ぎない被告人の訪問から投票依頼の趣旨を感得したとされるなど検察官による作為性、違法な誘導が強く窺われることなどからして、前記各検察官面前調書には特信性がないにもかかわらず、原判決がこれを証拠として採用したのは訴訟手続の法令違反に当たる、というのである。

しかしながら、原審記録を調査して検討すると、前記一一名の被訪問者は、いずれも当時山崎団地一街区に居住する家庭の主婦であつたところ、同女らの各検察官面前調書は、各供述者が、本件犯行から二〇日を経ない記憶の新鮮な時期に、体験に即して具体的、有りのままに供述した内容を録取したものであることが看取され、しかも、暴行など違法な取調がなされたことを窺わせる証拠がないのに対し、右各供述者の中にはその後山崎団地から転居した者もいるとはいえ、その各原審証言は、本件犯行から三年八か月ないし五年九か月を経た時期に、被告人本人やその支援者多数が在廷する公判廷でなされたものであり、各証言内容から、日時の経過による記憶の低下、被告人らに対する遠慮、同情などが看取されることに照らすと、所論指摘の各供述調書の任意性はもとよりその特信性を優に肯認することができる。なるほど、二名の検察官が右各供述者の取調を分担して行つていて、作成者に応じて供述調書の内容に所論指摘のような差異を認めることができるが、捜査官の個性、捜査の目的などによつて取調状況は自ずと異つて来るのであり、また、これに応じて各供述者が記憶喚起を促されるなどして供述する範囲、内容の具体性、詳細さにも差異が生じることは自然であつて、その故に直ちに各供述調書の任意性、特信性が否定されるとはいえない。また、被告人は、後記のとおり、訪問先において、候補者佐藤まつ子の選挙騒音を謝る挨拶をして同女の氏名を言いあるいたのであるから、被告人が同女に主眼をおいた自己紹介をしたからといつて所論のように不合理なものとはいえず、被告人の訪問の時期、態様などからして被訪問者が被告人の訪問を投票依頼の趣旨と受け取つたとしても不自然な点はなく、その余の諸点を検討しても、前記各供述調書の特信性を争う所論はいずれも採用することができず、論旨は理由がない。

第三控訴趣意二、三(これと同旨の四・八中の部分を含む)及び五について

所論のうち、控訴趣意五の論旨は、要するに、公職選挙法一三八条二項は、同条一項の脱法行為を禁じているが、本来自由な個人の日常行為、政治活動などと明白に区別できるよう厳格に解釈することによつて初めてその合憲性を肯認することができる。従つて、同条二項にいう「選挙運動のため」戸別に候補者の氏名を言いあるく行為とは、実質的に、特定の候補者に投票を得又は得しめる目的をもつて行われる戸別訪問といえるもので、しかも不正行為の温床となりやすいことなど戸別訪問と同一の弊害をもたらし、これを禁止しなければ戸別訪問と同様に選挙の公正を維持する目的が阻害されるものであることを要し、「候補者の氏名の言いあるき」とは、文言どおり、又は他の行為に名を藉りつつ特定の候補者への投票を依頼するため、候補者の氏名を言いあるくもので、その行為の外観からみても特定の候補者への投票依頼により強く結びつく形態のもののみをいうと解すべきであるにもかかわらず、原判決が、「選挙運動のため」とは、戸別に特定の候補者の氏名を言いあるくことにより、特定の候補者を相手方選挙人に強く印象づけて、当該選挙人から特定の候補者に投票を得させるにつき有利に働くものと認識し、かつ、これを積極的に認容している場合をいうとし、「候補者の氏名の言いあるき」とは、単に特定の候補者の氏名のみを言いあるく場合に限らず、他の行為に付随して特定の候補者の氏名を言いあるく場合、さらにはかかる場合に候補者の氏名を何某の妻などと間接的表現で言いあるくときも含むとして拡大解釈をなし、被告人の本件行為が同条項に違反するとしたのは、法令の解釈を誤つたものである、というのであり、控訴趣意二・三及び四・八中これと同旨の論旨は、要するに、山崎団地一街区は、九棟三〇〇戸が全部分譲住宅であつて、居住者に持家意識の強い一つの生活共同体をなしており、騒音についても厳しい制約が存するところ、被告人は、騒音である点では生活騒音と差のない選挙騒音の被害が一街区全体に及んでいて、近隣住民から苦情が出ていたことから、騒音謝罪に好都合な日曜日を選び、円滑に訪問できるように篠原らを伴つて各入居者宅の扉の外から、「四号棟の佐藤です。いつもお世話になります。選挙が始まつて女房が朝から晩までうるさく廻つていると思いますが、御容赦下さい。あと一週間迷惑をおかけします。」などと言いながら日常的挨拶を行つたに過ぎず、このことは被告人の原審供述等関係証拠によつて明らかであるにもかかわらず、何ら合理性のない根拠に基づき被告人の本件犯行を認定した原判決には重大な事実誤認がある、というのである。

そこで、検討すると、公職選挙法一三八条二項は、選挙運動のため戸別に特定の候補者の氏名を言いあるく行為を前項に規定する禁止行為に該当するものとみなすと規定しているが、それは、このような行為には、戸別訪問のもつ直接的な投票依頼の効果には及ばないまでも、当該候補者を選挙人に強く印象づけ、当該選挙人から同候補者への投票を得るのに有利に働く効果があり、往々にしてそれが戸別訪問の脱法行為として行われるおそれがあるからであると解される。そして、脱法行為を禁ずる以上は、いかなる手段方法をもつて行われようと、これを規制する必要があるのは当然であり、他面、特定の公職の選挙に立候補した候補者とはいえその氏名を告げることは社会生活において日常起りうることであるし、またその必要がある場合もあるから、右の禁止行為に該当するとして規制されるのは、それが選挙運動のために行われたときに限られるべきであつて、これらの点は法文上明らかにされている。ところで、戸別に特定の候補者の氏名を言いあるく行為は、それ自体では選挙人に対する直接的な投票依頼を内容としないものであるけれども、候補者の当選のために有利に働くことは否定し難く、それ故に戸別訪問とみなされているのであるから、行為者が特定の候補者の氏名を言いあるくことを認識しているだけで直ちにこれを選挙運動のために行つたものと解するとすれば、特に選挙運動のために行われたもののみを禁じた同条項の文言に反するばかりでなく、前記のように社交儀礼として行うことなども制限されることになつて禁止の範囲が不当に広範になり、実質的にも相当でないといわなければならない。してみると、同条項にいう「選挙運動のため」とは、単に戸別に候補者の氏名を言いあるく行為を行うことの認識をもつて足りるものではなく、より積極的に当該立候補者のため投票を得若しくは得させる目的のもとに行為に出ること、換言すれば、当該立候補者のため投票を得若しくは得させることを動機として行為に出ることを要するものと解するのが相当である。もとより、この場合、行為者において他の用件を併せもち又はこれに付随しあるいは仮託していたとしても、右の目的があることは否定されない。また、前記の立法趣旨から考えても、候補者の氏名のみを戸別に言いあるく態様の行動などは通常考えられないことからみても、挨拶など日常行為の内容に含めてその氏名を告げることも当然禁止されるものと解すべきである。また、特定の候補者を指すことが明らかである以上何某の妻などといつた間接的表現も候補者の氏名に含まれると解するのが相当であり、所論のようにこれを限定して解すべき根拠は見当たらない。

そこで、原審記録を調査し当審における事実取調の結果をも参酌して検討すると、原判決が挙示する証拠を総合すれば、原判示の昭和四九年二月二四日施行の町田市議会議員選挙に立候補した佐藤まつ子の夫である被告人は、投票日が間近に迫つた同月一七日に、山崎団地内の佐藤まつ子後援会の事務局長をしていた篠原保らを伴つて、現に選挙騒音の被害を受けていた山崎団地一街区の入居者を戸別に訪れ、直接多数の選挙人に対し、原判示のとおり選挙騒音の謝罪挨拶をした中で「佐藤まつ子」あるいは「佐藤です。うちの家内が」などといつて同女の氏名を言いあるいていることが認められる。そして、被告人が選挙騒音に対する謝罪を行うこと自体、その時期及び対象者に照らし、各選挙人の、選挙騒音を発している側にいる佐藤まつ子に対する感情を好転させ、同女への投票を得るのに有利に働く可能性があることは明らかであり、また、被告人の捜査段階及び原審特に第四八回公判における供述によれば、被告人は、佐藤まつ子について、近隣住民から立候補しても挨拶に来ないとか同女が従来からあまり愛想のいい女ではないなどの誹謗中傷がされていたことを聞知し、これを気して、選挙騒音の謝罪挨拶に回つて誹謗中傷で低下した同女への印象を回復するために、同女への投票獲得に有利に働く右行為に及んでいるのであるから、被告人がこれを選挙運動のために行つたと容易に認定することができる。してみると、被告人について公職選挙法一三八条二項所定の戸別に候補者の氏名を言いあるく罪を犯したことを優に肯認することができる。

なお、所論は、山崎団地一街区は入居者に持家意識の強い一つの生活共同体をなしている旨主張するが、原審及び当審において取調べた関係証拠に照らすと、所論が山崎団地一街区の特殊性として主張するものは、入居者の専有、共有部分を有する集合住宅において通常生じる、法律的・社会的制約や事務処理状況に過ぎないとみられ、同街区が所論のような特殊な共同体をなしているとは認め難いところであるけれども、所論を前提とし、原判示のとおり同街区には近隣の迷惑となる騒音や言動を禁じる組合規約が存在し、入居者が日頃生活騒音について互に特別の配慮をして生活しており、そのことが被告人が本件行為に及んだ一つの契機となつていたとしても、既に述べたとおり、選挙運動のために行う意思を有していたことが否定されるものではないから、所論は採用の限りでない。

従つて、被告人の本件行為が公職選挙法一三八条二項の罪を構成するものとした原判決は、結局正当であつて、その余の所論を逐一検討してみても、原判決に所論のような誤りは存せず、論旨は理由がない。

第四控訴趣意六について

論旨は、要するに、(1) 戸別訪問は、選挙運動における表現手段として、候補者、選挙人間の双方向的な意思の伝達方法であるという長所を有し、弊害とされている買収等の不正行為の温床となりやすいことなどはいずれも根拠を欠くものであるにもかかわらず、これを全面的に禁止した公職選挙法一三八条一項は憲法二一条に違反しており、仮にそうでないとしても、公職選拳法一三八条二項は、同条一項の脱法行為の禁止規定であるから、戸別訪問と同程度の諸弊害を伴う態様の行為のみを禁止することによつてその立法目的を達成できるにもかかわらず、弊害を伴うか否かを問わず法益侵害の具体的危険性のない行為についてまで脱法行為として一律に禁止しているのであつて、表現の自由に対する規制として合理的で真にやむをえない必要最少限度の範囲を超えており、また、同条二項所定の「選挙運動のため」という概念は、曖昧で、本来自由な政治活動や日常生活上の挨拶行為と区別する基準が明らかでなく、憲法三一条の保障する罪刑法定主義、構成要件の明確化の要請に反するから、公職選挙法一三八条二項は、憲法前文、二一条、三一条に違反するものであるにもかかわらず、最高裁判所の裁判例に従うのみで具体的検討を怠たり、公職選挙法一三八条二項を同条一項と同一の理由で合憲とした原判決には理由不備、法令解釈の誤りの違法がある、(2) 被告人は、各訪問先で一分前後騒音謝罪の挨拶を行つたに過ぎず、法益侵害の明白かつ現在の危険がないにもかかわらず、これに公職選挙法一三八条二項を適用した原判決は、憲法一三条、二一条、三一条、三九条に違反する、というのである。

そこで、まず、(1) について検討すると、公職選挙法一三八条一項の規定が憲法二一条に違反するものでないことは、最高裁判所の確定した判例(昭和四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁、昭和五六年六月一五日第二小法廷判決・刑集三五巻四号二〇五頁、同年七月二一日第三小法廷判決・刑集三五巻五号五六八頁、昭和五六年(あ)第四四三号同年六月一八日第一小法廷判決等)であつて、これを変更すべき理由も認められないので、当裁判所もこれに従うものである(なお、昭和五六年(う)第八五号昭和五七年四月一五日東京高等裁判所判決参照)。従つて、右公職選挙法一三八条一項の脱法行為とみなされて禁止される行為を定めた同条二項の規定が憲法二一条に違反するものではないと解されるのであるが、以下、戸別に候補者の氏名を言いあるく行為に限つて、判例で示された判断基準を参酌して、若干付言する。

選挙運動のため戸別に候補者の氏名を言いあるくことは、戸別訪問のように国民が直接の政治参加の場である選挙において政治的意見を表明し伝達するのに役立つ手段でないにしても、候補者の知名度を高め投票獲得に有効な選挙運動としての利点を有し、これを禁止することが憲法二一条の保障する表現の自由に対する制約となることは否定できないが、その制約の程度は戸別訪問のそれ以下にとどまるといつて差し支えないであろう。また、戸別訪問については、買収利害誘導などの温床になり易く、これを許容すると、それらの違法行為のなされる機会が増えることとなるばかりか、戸別訪問を放任するときは、候補者側も訪問回数を競う煩に耐えられなくなるうえ、多額の出費を余儀なくされ、投票も情実に支配され易くなり、選挙人の生活の平穏を害するという弊害が生じるものとされており、戸別に候補者の氏名を言いあるく行為についても、これを放任するときは、戸別訪問の脱法手段と化し、戸別訪問について指摘される前記諸弊害を生じるに至ることも十分予想されるのである。そうだとすると、戸別に候補者の氏名を言いあるく行為を禁止しても、戸別訪問の禁止が合憲とされると同様の理由によつて合憲であると解される。すなわち、戸別に候補者の氏名を言いあるく行為を禁止するのは、これらの弊害を防止して選挙の公正をより確実なものにすることにあつて、これを一率に禁止することとの間に十分な合理的関連性があるということができるし、その規制目標は、明らかに、表現の内容そのものには向けられなくて、単にその行為に伴う付随的な弊害の防止に向けられており、この規制が表現の自由に対して及ぼす制約は、戸別に候補者の氏名を言いあるくという手段方法によつて意見表明をする自由を奪い、それだけ表現の機会を狭めることになるというにとどまるところ、公職選挙法においては他に各種の手段方法による選挙運動が広く許されているから、この規制により得られる利益と失われる利益との均衡を失しているとはいえない。それ故、いかなる手段方法により選挙を実施することが全体としての選挙の公正を確保することができるかという積極的、政策的見地に立ち、利益考量の結果とられた、戸別に候補者の氏名を言いあるく行為を一率に禁止する措置は、憲法二一条との関係において国会の規制権限を逸脱した違憲の規制ということはできず、従つてまた、これを禁じた公職選挙法一三八条二項は、すべての候補者、選挙運動者などに対し公平に適用される選挙のルールに違反する行為を処罰している点で合理性を有し、合憲なものということができる。

さらに、公職選挙法における選挙運動の意義は、判例上確定しており(昭和三八年一〇月二二日第三小法廷決定・刑集一七巻九号一七五五頁、昭和五三年一月二六日第一小法廷判決・刑集三二巻一号一頁等参照)、同法一三八条二項の「選挙運動のため」の意義についても、これと同様に解すべきであつて、前項に述べたとおり何ら不明確な概念ではなく、もとより、同条項が選挙運動としてなされたものでない政治活動や日常生活上の挨拶行為をも処罰しようとするものではないから、これが憲法前文、三一条に違反するとの所論は前提を欠き、採用できない。また、原判決の理由不備をいう所論部分は、いわゆる必要的判示事項以外の事柄に関する原判決の説示の不備をいうに過ぎないから主張自体失当であるばかりでなく、公職選挙法一三八条二項の合憲性に関する原判決の説示に何ら違法不当な点はない。

次に、(2) について検討すると、公職選挙法一三八条二項は、いわゆる形式犯ないし抽象的危険犯であつて、その成立に法益侵害の具体的危険性が生じることを必要とするものではないから、所論はその前提を欠いていて失当であるばかりでなく、被告人の本件行為は、そのなされた時期、態様などからして法益侵害の危険の発生することが一般的に認められるのであつて、これを同条項に該当するものとした原判決の法令適用に何ら違法な点はない。論旨は理由がない。

第五控訴趣意八中法令適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、被告人は無罪であるにもかかわらず、原判決が原審証人新堂甚英らに対して支給した訴訟費用の負担を被告人に命じたのは法令適用の誤りに当たる、というのであるが、前記のとおり被告人の刑責を肯認できるのであるから、所論はその前提を欠いているうえ、原審記録を調査しても原判決が所論の訴訟費用を被告人に負担させたことに何ら不当な点はなく、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑田連平 裁判官 香城敏麿 裁判官 植村立郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例